今すぐ備えるべき生成AIのリスク管理 〜財団・社団法人に求められる内部規程の策定〜
はじめに:生成AIがもたらす静かな変革
2022年11月のChatGPT登場からまもなく3年。生成AIは私たちの日常に驚くべき速さで浸透しています。文章作成、翻訳、データ分析、プログラミング支援など、その活用範囲は日々拡大し、もはや「知らない」では済まされない存在となりました。
特に注目すべきは、若い世代を中心に、生成AIの利用が急速に日常化していることです。大学生の論文作成、就職活動でのエントリーシート作成、日々の業務での文書作成など、様々な場面で当たり前のように活用されています。ある調査によれば、20代の約6割が何らかの形で生成AIを利用した経験があり、その数は増加の一途をたどっています。
この変化は、かつてインターネットが普及した時期を彷彿とさせます。当初は「インターネットなんて必要ない」と言われていたものが、今では業務に欠かせないインフラとなりました。生成AIも同様に、好むと好まざるとにかかわらず、私たちの仕事や生活の一部となっていくでしょう。
公益法人、一般社団・財団法人が直面する「見えないリスク」
すでに始まっている現場での活用
「うちの団体ではAIなんて使っていない」――そう思われる理事や管理職の方も多いかもしれません。しかし、現実はどうでしょうか。
若手職員が助成金申請書の下書きをChatGPTで作成していたり、イベント企画のアイデア出しにAIを活用していたり、議事録の要約にAIツールを使っていたりする可能性は、決して低くありません。特に、個人のスマートフォンやパソコンで無料版のAIサービスを利用している場合、組織としてその実態を把握することは困難です。
情報漏洩リスクの具体例
ケース1:支援者情報の流出リスク
ある職員が、寄付者リストの分析を効率化しようと、個人のChatGPTアカウントにエクセルデータをアップロードしました。氏名、住所、寄付金額などの個人情報が含まれたこのデータは、OpenAI社のサーバーに送信され、最悪の場合、AIの学習データとして利用される可能性があります。
ケース2:内部情報の意図しない漏洩
理事会で議論された受託事業の企画書を、文章をブラッシュアップするためにAIに入力。この内容が他のユーザーへの回答生成時に参照される可能性があり、競合に戦略が漏れるリスクがあります。
ケース3:著作権侵害のリスク
AIが生成した文章や画像をそのまま団体の広報物に使用した結果、既存の著作物との類似性が指摘され、著作権侵害で訴えられる可能性があります。特に画像生成AIは、学習データに含まれる作品の特徴を強く反映することがあり、注意が必要です。
法的・倫理的責任の重さ
公益法人、一般社団・財団法人は、その公益的な性格から、一般企業以上に高い倫理観と法令遵守が求められます。個人情報保護法はもちろん、各種ガイドラインや業界規範など、遵守すべき規則は多岐にわたります。
特に、以下のような団体は、より慎重な対応が必要です。
- 医療・福祉系の団体(要配慮個人情報を扱う)
- 教育関連の団体(未成年者の情報を扱う)
- 国際協力団体(海外の個人情報保護法も考慮が必要)
- 公的資金を受けている団体(より高い透明性が求められる)
万が一、情報漏洩や著作権侵害などの問題が発生した場合、団体の信頼は大きく損なわれ、寄付金の減少、助成金の停止、最悪の場合は法人格の取り消しといった深刻な事態に発展しかねません。
なぜ今、ルール作りが急務なのか
技術の進化スピードと規制の遅れ
生成AI技術は日進月歩で進化しています。ChatGPT-5、Claude、Geminiなど、次々と新しいモデルが登場し、その性能は向上し続けています。一方で、法整備や業界ガイドラインの策定は追いついていないのが現状です。
EUではAI規制法が施行され、日本でも経済産業省がガイドラインを策定していますが、具体的な現場での運用方法については、各組織が自ら考え、ルールを作っていく必要があります。
職員の世代間ギャップへの対応
組織内には、AIに積極的な若手職員と、慎重な姿勢を示すベテラン職員が混在していることが多いでしょう。このギャップを放置すると、以下のような問題が生じます。
- 若手職員の勝手な判断による無秩序な利用
- ベテラン職員の過度な警戒による全面禁止
- 世代間の対立や相互不信
- 組織としての統一的な対応の欠如
明確なルールを策定することで、全職員が共通の理解のもとで、安全かつ効果的にAIを活用できる環境を整えることができます。
競争力の維持と向上
生成AIを適切に活用できる組織とそうでない組織の間には、今後大きな生産性の差が生まれることが予想されます。例えば、
- 助成金申請書の作成時間が半分に短縮
- 多言語での情報発信が容易に
- データ分析やレポート作成の効率化
- 支援者とのコミュニケーションの質向上
これらのメリットを享受するためには、リスクを適切に管理しながら、積極的にAIを活用していく姿勢が求められます。
公的ガイドラインに学ぶ:信頼される組織づくりのために
デジタル庁の行政向けガイドラインが示す方向性
2025年5月、デジタル庁は「行政における生成AI利用ガイドライン」を公表しました。このガイドラインは、公的機関がAIを活用する際の基本的な考え方を示しており、公益法人、一般社団・財団法人にとっても参考になる内容が多く含まれています。
主なポイントは以下の通りです。
- 透明性の確保:AI利用の事実を明確にし、ステークホルダーに対して説明責任を果たす
- 人間による最終判断:AIの出力をそのまま使用せず、必ず人間が確認・判断する
- プライバシーの保護:個人情報や機密情報の取り扱いに細心の注意を払う
- 公平性の担保:AIによる偏見や差別が生じないよう配慮する
自治体の先進事例から学ぶ
大阪市、横浜市、神戸市など、多くの自治体が独自のAI利用ガイドラインを策定しています。特に注目すべきは、大阪市が指定管理者や業務委託先に対してもガイドラインの遵守を求めている点です。
これは、公的業務を担う組織には、直営・委託を問わず同等の責任が求められることを示しています。公益法人、一般社団・財団法人も、公的資金を受けている場合や、行政との協働事業を行っている場合は、これらの基準を参考にする必要があります。
実践的な内部規程の策定ポイント
規程に盛り込むべき基本項目
効果的な内部規程を作成するためには、以下の項目を明確に定める必要があります:
1. 目的と基本方針
なぜAI利用規程を定めるのか、組織としてAIとどう向き合うのかを明文化します。「禁止」ではなく「適切な活用」を目指す姿勢を示すことが重要です。
2. 利用可能なAIツールの指定
組織として認めるAIツールを具体的に列挙します。セキュリティや信頼性を考慮し、法人向けの有料版を推奨することも検討しましょう。
3. 申請・承認プロセス
AI利用を開始する際の申請方法、承認権限者、判断基準などを定めます。簡潔で実用的なプロセスにすることが、ルールの形骸化を防ぎます。
4. 禁止事項の明確化
個人情報の入力禁止、機密情報の取り扱い制限、著作権侵害の防止など、してはいけないことを具体的に示します。
5. 利用時の注意事項
AIの出力を鵜呑みにしない、必ず人間が確認する、出典を明記するなど、日常的な利用における留意点を記載します。
運用体制の構築
AI利用管理者の設置
IT担当者や総務担当者など、AI利用に関する相談窓口となる担当者を決めます。この担当者は、最新の情報収集や職員への啓発活動も担います。
定期的な研修の実施
全職員を対象に、AIの基礎知識、リスクと対策、具体的な利用方法などについて研修を行います。特に新入職員には、入職時研修に組み込むことが望ましいでしょう。
インシデント対応体制
万が一、情報漏洩などの問題が発生した場合の対応手順を定めておきます。初動対応、報告ルート、再発防止策の策定など、具体的な手順を明文化します。
おわりに:変化を恐れず、リスクと向き合う勇気を
生成AIは、公益法人、一般社団・財団法人にとって脅威ではなく、ミッションの実現を加速させる強力なツールとなり得ます。限られた人的・財政的リソースの中で、より大きな社会的インパクトを生み出すために、AIの力を借りることは理にかなっています。
重要なのは、リスクから目を背けることでも、過度に恐れることでもありません。リスクを正しく理解し、適切な対策を講じながら、前向きに活用していく姿勢です。
最後にご紹介する内部規程案は、その第一歩となるものです。デジタル庁の行政向けのガイドラインや大阪市の指定管理者等の受託事業者向けのガイドラインを参考に筆者が作成いたしましたはいはい。
▼生成AI利活用に関する規程(ひな形)
https://docs.google.com/document/d/1WQGy8172n4xR9iPgdshvdLCpsx5JTecO/
ぜひ、この規程案を参考に、皆様の組織に合った形でカスタマイズしてご活用ください。AIと共存する新しい時代に向けて、今こそ準備を始める時です。私たちの活動が、テクノロジーの力を借りてさらに大きな価値を生み出すことを願っています。
執筆者Profile
桑波田直人(くわはた・なおと)
(一財)全国公益支援財団専務理事・(株)全国非営利法人協会専務取締役 。『公益・一般法人』創刊編集長等を経て現職。公益社団法人非営利法人研究学会では常任理事・事務局長として公益認定取得に従事。編著に『非営利用語辞典』(全国公益法人協会)、他担当編集書籍多数。